両京十五日2 天命

最近読んでた本です。


「両京十五日1 凶兆」に続いて「両京十五日2 天命」を読みました。

呉定縁を置いたまま淮安から兗州へ向かう3人。しかし済南に呉定縁がいるはずと読み、途中済南に寄って呉定縁を救うつもりの太子と蘇荊渓、そして臨清にいる太子の母方の叔父、張泉に会うつもりの于謙の二手に分かれることにした。一方連れ去られた呉定縁は白蓮教の仏母と言われる唐賽児と話をしていた。呉定縁の本名は鉄福縁といい、本当の父は鉄鉉で朱棣(3代永楽帝)と争い殺された武将だったと知る。父だと思っていた呉不平は本当の父ではなかったが、呉不平は白蓮教に殺されており、ずっと白蓮教に復讐をと思ってきたがここにきて朱家に復讐すべきかと混乱した。本来なら白蓮教に入り太子に復讐すべきなのかもしれないが、そんなことはしたくないと思う呉定縁。その時官軍が白蓮教を襲撃し、昨葉何や梁興甫、唐賽児、唐賽児は逃げる。呉定縁の妹の呉玉露は白蓮教に洗脳されていた。唐賽児を殺して因果を終了させよと言われ本当に胸を刺してしまう。

一方太子は山東省の指揮官の斬栄に会いに行くが、斬栄に捕まってしまう。その時太子は「叛逆者か誰かわからぬ以上、いかなる人の前でも身分を明かしてはならない」と常日頃言っている于謙の言葉が身に染みていた。またこの時官軍が白蓮教徒をむやみやたらに殺傷しているのを見て罪なき者を殺していることに激怒していた。蘇荊渓と呉定縁は太子を救うため、白蓮教の梁興甫にお願いをするが立ち向かえないのを見て取り、官府に訴え軍を動かした。太子は再度肩に傷を負い、蘇荊渓の治療を受けた。

ここから徳州へ一行は向かう。山東郡司の騎馬隊長の高大為が追ってきたが、太子は自分の父方の叔父、漢王が敵であると知り悩み始める。太子は既に臨清にいる于謙、そして太子の母方の叔父の張泉と合流。太子は張泉と会ってホッとして涙を流す。張泉は京城のことを語った。「陛下(朱瞻基の父、朱高熾=4代洪熙帝)は媚薬を盛られ体調おかしく何もできない状態にあり、漢王(朱高熾の弟、朱高煦)が加持祈祷を執り行い軍も待機している状態」という。漢王が帝位を継承できるのは、太子(朱瞻基)が皇帝に先んじ亡くなり、皇帝が後継者を指名できないときのみ。よって漢王は太子の死を望んでる」と。蘇荊渓は陛下の具合を聞き、蘇荊渓の友人の錦湖が嫁いだ李家から四逆回陽陽の薬が伝わり、陛下が動けない体になったのではないか」と疑う。蘇荊渓は友人の錦湖と共に作った薬だったが、良くない薬と判り公にはしないでいたものだった。

張泉の用意した舟はたくさんの荷物を甲板に積んでいたが、水門突破の時にその荷である青煉瓦を海に投げ出し成功した。漢王の息子、朱瞻域は火薬を砲身に詰めて点火すると、蘇荊渓の部屋を石がつき抜け蘇荊渓は水中へと放り投げだされる。太子も呉定縁も彼女を助けるために海の中へ。太子は呉定縁が蘇荊渓のことを好きなら自分はきっぱり諦めるが、もし彼が彼女に興味なければ自分は彼女を入内させて妃に迎えたいと思い始める。しかしどうやら蘇荊渓も彼女のことが好きなようだった。呉定縁に助けられた蘇荊渓と呉定縁はいい雰囲気になっていた。

6月3日まで到着が難しいかもしれないと考え、一足先に呉定縁と昨葉何が馬で京城を目指すことにした。何としてでもその日までに朱瞻基が生きていることを伝えなければならない。呉定縁たちは白蓮教徒の周徳文に京城に入るのを手伝ってもらい、宦官の阮安に張泉の手紙を届けた。京城は大雨で洪水となり水浸しであった。城壁も崩れ民家も押しつぶされていた。建築に詳しい阮安の案内で水中通路を通り紫禁城へと入った。宮中の宦官、海寿の話では「5月24日に陛下が崩御」「先帝の葬儀をしたお方が帝位継承の名分がある」のだが「皇后が漢王を拒否し、太子不在のため他の息子、越王と襄憲王のどちらかを選ぼうとし、3人が横並びになった」という。

舟に乗っている呉定縁は皇后の元へ向かい「太子は生きていてもうすぐ戻って来る」と告げ、太子の手紙と皇后が秘密裡に太子に宛てた手紙を証拠として渡そうとすると、呉定縁の右手は漢王の息子、朱瞻域の矢に射やられ、手紙の入った魚筒が水の中へ入ってしまう。手紙が読めなくなってしまうと、呉定縁は太子の命を狙った殺人犯であり、皇后の命も狙ってる白蓮教徒であると言われてしまう。舟に乗っている先帝の棺に飛び乗った呉定縁は洪武帝(明の初代皇帝)と永楽帝(3代皇帝)の位牌を心臓の前後に括りつけ、これ以上矢で射やれないようにし、そのまま太子を迎えにいく。これは前もって教えてもらった蘇荊渓のアイディアであった。途中お上が何もしてくれないと庶民が堤防代わりに作った壁を通っていく。追手の朱瞻域が司天台に迫ってきたとき、梁興甫が現れ朱瞻域と戦うが梁興甫は亡くなってしまう。その後太子が来て、捕まった呉定縁を放すように漢王と息子に話し彼らを逃がした。そして太子は皇帝になる。太子と呉定縁にはわだかまりがあり、于謙が昨葉何に協力させ呉定縁を逃がした。

呉定縁は昨葉何が預かっていた蘇荊渓の手紙を読むと、天寿山に行くと言い出す。宣徳帝(朱瞻基)も先帝と共に殉葬された5人の嬪妃の名簿、後宮の名簿を見て、天寿山に行くと言い出す。宣徳帝(朱瞻基)は既に、蘇荊渓の友人の王錦湖が本当は爬灰(バーホェイ)(息子の妻を犯すこと)をされもみ合いの末頭を打って亡くなっていたことを突き止めていた。また後宮の永楽帝と共に殉死した嬪妃に王景殊がいて、本籍、年齢、後宮に入った時期、嫁ぐ前に医術を学んでいたという経歴まで、この嬪妃が王錦湖と一致していることをも突き止めていた。この王家は顕彰され録を賜ったものの突如毒入り菓子で死に絶えてしまっていた。

蘇荊渓の復讐したい人とは朱卜花(嬪妃を殺したのは彼の部下)、張泉(王家が娘を宮廷に送ったのは景殊の父が彼の友人だったから)、朱瞻基の父(惨殺を座視)、母(後宮に彼女を送った)、漢王(礼法を行うよう後宮を脅す)永楽帝(臨終の遺命で一切は祖制に従えと言った、一切がここに始まる)だった。彼女は皇帝と共に嬪妃が殉死しなければならない制度に我慢がならず、その復讐を企てていたのだった。

呉定縁が火をつけ燃やす。于謙が宣徳帝(朱瞻基)を助け出し、呉定縁と蘇荊渓はそのまま火の中に。後に張泉の遺体が見つかったが、呉定縁と蘇荊渓の遺体は見つからなかった(完)

蘇荊渓が抱えていた秘密、復讐の中身が最後に明らかになりました。ドラマ「尚食」でも出てきますが、朱瞻基の祖父の永楽帝が亡くなった時に一緒に嬪妃も生き埋めとなっているのが怖かったのですが、それがこの本のテーマのひとつでもありました。著者による「物語の周辺について」がとてもいい解説書になっているのですが、洪武帝(初代)の時は46人の妾と後宮の女官が殉葬、永楽帝(3代)の時は16人~30人(資料によって違う)、洪煕帝(4代)の時は5人、宣徳帝(5代)の時は8人~10人が殉葬されたと。その後正統帝(6代、8代朱瞻基の長男、朱祁鎮)の時に殉葬を禁止してこの伝統は消滅したものの、まだしばらくは王侯貴族の間では続いていたといいます。

朱瞻基の父、洪煕帝は即位して1年くらいで亡くなってしまい、その死因は「陰症」だと言います。これは「肥満体型で心臓に疾患を持ち、性行為過多により薬物の助けを借りていたため、突如深刻な結果を招いた」とのこと。また朱瞻基は祖父の永楽帝と共に戦場に赴いていたため、「すこぶる判断力に富んでいた」こと、「叔父の漢王を自分を殺そうとしたにも拘わらず厚遇していたが、またも反旗を翻した漢王を監禁した際、漢王は足を伸ばし朱瞻基を顔から転ばせてしまったため、朱瞻基が釜の中で焼き殺した」という。朱瞻基は建設途中の祖父の墓と急死した父の墓の2つの墓を建設しなければならなかったこと。また当時地震が30回以上も南京で起きた史実があり、南京へ遷都しようと思っていた洪煕帝は息子の朱瞻基に南京に向かわせて南京の安寧を図ったという。北京の洪水被害も酷かったらしく、この小説がかなりの部分で史実に基づいて描かれていたこともわかりました。

ミステリー感はやや弱めに感じたけれど、冒険もの、歴史ものとしては十分堪能できました。ちょっとした歴史の勉強にもなったし、冒険ものが大好きなので縁があって読めて良かったです。あとはチョン・イー(成毅)のこのドラマの完成を待つばかり。またチョン・イーの待機ドラマがたくさんあり「赴山海」がやっと9月10日から始まるとの情報も出たのでそちらも楽しみです。

この記事へのコメント

  • naonao

    >ぼんさん、てんてんさん
    niceありがとうございます。

    >たいちさん
    コメントありがとうございます。
    『慶余年~麒麟児、現る~』は軽快なテンポで面白いですよね。
    大好きなドラマだったので原作を読みたいと探しましたが、生憎日本語訳は出ていませんでした。
    2025年08月23日 07:01
  • たいち

    私が今、ハマっている中国ドラマは、『慶余年~麒麟児、現る~』です。
    2025年08月20日 22:07
  • てんてん

    (# ̄  ̄)σ・・・Nice‼です♪
    2025年08月20日 20:12
  • ぼん

    ナイスです!
    2025年08月20日 11:28